小説「新・人間革命」源流 46 2016年10月26日

山本伸一ら訪印団一行は、ネルー大学に引き続いて、ニューデリーの中心街ティーン・ムルティにあるネルー記念館を訪問した。
記念館の建物は、バルコニーが張り出した重厚な石造りの二階建てであった。
かつてはイギリス軍の最高司令官が使用していたが、インド独立後、ネルー首相の住居となった。
彼は、一九六四年(昭和三十九年)に世を去るまでの十六年間、ここでインド民衆のために平和と繁栄への舵を取り続けてきた。
そして、ネルー逝去から半年後、彼の事績と精神を伝え残すために記念館となった。
一行は、S・R・マハジャン館長の案内で館内を見学した。ネルー首相の生い立ちを示す写真の数々。
在りし日のままに保存された執務室、応接室、寝室。また、親交のあった多くの人びとの写真……。
伸一には、インド国民会議派のガンジーの指導のもと、独立運動に身を投じ、念願の日を勝ち得たネルーの姿が偲ばれた。
一九四七年(同二十二年)八月十五日午前零時──それは、長い長い漆黒の闇を破り、インドの大地に、「独立」と「自由」の金色の光が走った瞬間であった。
インドが独立を勝ち取ったことは、搾取され、虐げられ続けてきた民衆の勝利にほかならない。
詩聖タゴールが「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」(注)と述べた悲願の時が、遂に訪れたのだ。その新生の時を前にして、
初代首相ネルーは制憲会議の全議員と共に誓った。
インドのため、民衆のために貢献しよう。平和のため、人間の幸福のために寄与しよう──八月十四日、独立前夜の誓願である。
なんと、この日は、十九歳の伸一が恩師・戸田城聖と初めて会い、平和と人道に生き抜く覚悟を定めた、運命の日でもあったのだ。
その後、ネルーは、東西冷戦によって引き裂かれた世界の傷を癒やし、アジアとアフリカの心を結ぶ第三世界の期待の星となった。
民衆のためにという強き一念と闘魂は、時代を建設する不屈の力となる。
 
小説『新・人間革命』の引用文献
注 「迷える小鳥」(『タゴール著作集1』所収)藤原定訳、第三文明社