小説「新・人間革命」 大山 十二 2017年1月16日

山本伸一は、創価の正義の大道を見つめ、そして足下の喫緊の課題に視線を移した。
今、何よりも優先しなくてはならないのは、僧たちの非道な攻撃をやめさせ、会員を守ることだ。
これまで学会が、何度も、さまざまな宗門の要求を聞き入れ、譲歩を重ねてきたのも、そのためである
彼は、各地の会員に対する悪侶の暴圧を聞くたびに、胸が張り裂けんばかりに痛んだ。
苦悩し、呻吟する同志の顔が瞼に浮かび、悲痛と激怒の叫びが聞こえた。
その事態を脱却しようと、重ねてきたさまざまな努力も、今や、副会長である鮫島源治の発言によって無に帰してしまったのだ。
戸田先生が「命よりも大切な組織」と言われた学会である。その学会を、会員を、断じて守り通さねばならない。
そのために、いかなる道があるのか……
彼は、最愛の会員のためなら、一身に集中砲火を浴びることも恐れなかった。
事あれば一人で、一切の責任をとろうとの決意を固めていた。それは、彼が第三代会長として立った日からの、変わらざる誓いであった。
このころ、学会は、絶頂期を迎えていたといってよい。
日本にあっては、名実ともに宗教界の王者となり、確固たる一大平和勢力となった。
そして、民衆の大地に根を張った創価の同志の連帯は、世界を結ぼうとしていた。
実践の教学が、会員の生き方の規範、哲学として根差し、広宣流布の深い自覚のうえに、社会のあらゆる分野で活躍、貢献する多くの逸材が育っていた。
仏法を基調にした、平和、文化、教育など、社会に開かれた広範な創価の運動も高い評価を受け、学会への共感と賞讃の輪は大きく広がっていた。
いわば、最高の上げ潮をもって、学会は一九七九年(昭和五十四年)という、「七つの鐘」終了の佳節を迎えたのだ。
伸一には、いつでも、師の戸田城聖に胸を張って勝利を報告できるとの自負があった。
師に応えようとの一念こそが、彼の原動力であった。