小説「新・人間革命」 雌伏 五十六 2017年5月30日

四国の同志が、「さんふらわあ7」号で神奈川文化会館を訪れた約一カ月後の二月十七日のことであった。
鹿児島県の奄美大島地域本部(後の奄美光城県)の女子部員八十六人が、山本伸一がいた東京・立川文化会館を訪問したのである。
──一年前の二月一日、伸一は、九州研修道場で行われた九州記念幹部会に出席した。
「七つの鐘」の総仕上げとなるインド訪問を控えての幹部会であった。
九州各県から集った参加者のなかに、奄美の女子部の代表もいた。
伸一は、研修道場で皆と記念のカメラに納まり、奄美のメンバーに語りかけた。
「何か要望があったら、あとで女子部長の方に言ってください。
どんなことでも結構です。遠慮などする必要はありません。
私は、可能な限り、皆さんの要望に応えたいんです。
離島で苦労に苦労を重ね、奮闘してきた、大事な宝の皆さんだもの」
奄美の代表が、女子部長に希望を伝えた。
創価女子会館で、奄美大島地域本部の女子部の勤行会を行わせてください!」
東京・信濃町に、女子部の会館として創価女子会館が開館したのは、一九七七年(昭和五十二年)十二月であった。
以来、全国の女子部員が、訪問を望んでいたのである。
伸一は、その要請を快諾した。
彼女たちは誓い合った。
「それぞれが各地域で、広布拡大の大波を起こして、広宣流布の師匠である山本先生のもとに集いましょう!」
宗門僧による卑劣な学会攻撃も続いていた。
そのなかでメンバーは、創価の正義の旗を掲げ、情熱をたぎらせて、弘教に走った。
しかし、九州研修道場での出会いから三カ月を経ずして、伸一が会長を辞任したのだ。
突然、太陽が雲に覆い隠された思いであった。でも、負けなかった。
「こうした時だから、弘教の大勝利をもって、先生に安心していただきましょう!」
逆境は、人間の真価を問う試金石となる。