小説「新・人間革命」 雌伏 五十七 2017年5月31日

かつて奄美大島の一部の地域で、学会員への激しい迫害事件があった。
村の有力者らが御本尊を没収したり、学会員の働き場所を奪ったりするなどの仕打ちが続いた。
生活必需品も売ってもらえなかった。車を連ねて学会排斥のデモが行われたこともあった。
奄美の女子部員は、少女時代に、そうした逆風のなかで、父や母たちが悔し涙を堪え、自他共の幸せを願って、懸命に弘教に励む姿を目の当たりにしてきた。
奄美大島地域本部の女子部長である長田麗も、その一人であった。
父親は、彼女が一歳の時に船の遭難事故で他界していた。
病弱な母親が、和裁の仕事をして、女手一つで彼女と姉を育てた。暮らしは貧しかった。
一家は、一九五八年(昭和三十三年)に入会する。母は自分たちが宿命を転換し、
幸せになるには、この信心しかないと、真剣に学会活動に取り組んでいった。
すると、日々の生活に張り合いと希望を感じ、体調も良くなり、次第に、確信が芽生えていった。
母は、口数の少ない人であったが、小学生の麗を連れて弘教に歩いた。
旧習の根深い地域である。訪ねた家で返ってくるのは、決まって蔑みの言葉であり、嘲りであり、罵倒であったが、母は負けなかった。
「学会の信心は絶対に正しい。やれば、必ず幸せになれるんですよ」と、厳として言い切るのである。
人びとの幸せを願う懸命な母の姿に、人間の強さと輝きを見た思いがした。
麗が小学校の高学年の時、母が風邪をこじらせ、高熱を出した。氷?の氷もすぐに溶けてしまうほどだった。一晩中、看病した。
病床で、母は繰り返した。
「私に、もしものことがあっても、絶対に学会から離れてはいけない。御本尊様だけは放してはいけない……」
その言葉は、幼い娘の生命に、深く刻まれた。
やがて健康を回復した母は、元気に学会活動に励み始めた。
和裁の仕事も増え、生活は安定していった。
功徳の体験は確信を育み、ますます信心を強盛にしていく。