【第11回】 栄光の大広布城を築こう (2017.6.8)

偉大なる「死身弘法」の師父・牧口先生の生誕日に、懐かしい荒川文化会館を訪れることができた(6日)。
昭和53年3月にこの師弟城が完成し、私が真っ先に行ったのは、戸田先生の追善法要(4月1日)であり、牧口先生の生誕謝恩の勤行会(6月6日)であった。
会館の前庭に、牧口先生の御揮毫「一人立つ精神」が金文字で石に刻まれている。
さらに戸田先生が認められた「大願」の石碑。その横に私が留めさせていただいたのは「共戦」の二字である。
60年前の夏、庶民の都・荒川で、私は草創の父母たちと、新たな民衆凱歌の波を起こす弘教拡大を成し遂げた。
その智慧とエネルギーも、先師の「一人立つ精神」に連なり、恩師の「大願」を成就してみせるという不二の「共戦」から生まれたのだ。
 
誉れの勝利劇の主役は、いかなる労苦もいとわぬ「陰徳陽報」の民衆である。
学生部の歌「広布に走れ」を最初に大合唱したのも、荒川だ。今、英知の男女学生部が結成60周年を飾りゆく、先駆の奮闘は何と凜々しいことか。
我ら東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表されたのも、荒川での東京支部長会であった。
心一つに前進してくれる全国の感激の同志に感謝を込め、今再び呼び掛けたい。
私と一緒に、不敗の東京をつくろう! 世界の同志が仰ぎ見る、永遠不滅の、栄光の大広布城を築こうよ!
 
帰途、大好きな足立を回った。
牧口先生は足立広布の母を励まされた。
「難を乗り越えてこそ、成仏できる」と。
その通りに、何があっても勝ち越えてくれるのが、足立のスクラムである。
「大東京の王者」と、私は全幅の信頼を寄せている。
さらに隅田川沿いに走り、陽光に照らされた宿縁深き葛飾、墨田、台東そして江東等の天地を見つめつつ、
全ての宝友に健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ! と、妻と題目を送った。
 
牧口先生が大切に拝された女性門下への御聖訓に、
「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(御書557ページ)と。
まもなく、創価の太陽・婦人部の日(10日)である。
題目の渦で、仏の大歓喜の生命を、あの友にも、この地にも躍動させながら、「立正安国」の大光をいよいよ放ちゆこうではないか!