小説「新・人間革命」 雄飛 四 2017年6月19日

北京大学では、講演に引き続き、四川大学への図書贈呈式が行われた。
当初、山本伸一は、四川省成都にある四川大学を訪問する予定であったが、どうしても日程の都合がつかず、ここでの贈呈式となったのである。
四川大学の杜文科副学長に伸一から、図書一千冊の目録と贈書の一部が手渡されると、拍手が鳴り渡った。
また一つ新たな教育・文化交流の端緒が開かれたのである。
二十三日午前には、敦煌文物研究所(後の敦煌研究院)の常書鴻所長夫妻と、宿舎の北京飯店で会談した。
常書鴻は七十六歳である。敦煌美術とシルクロード研究の世界的な権威として知られ、第五期全国人民代表大会代表でもある。
彼は、前日、西ドイツ(当時)から帰国したばかりであったが、旅の疲れも見せずに会談に臨んだ。
伸一はまず、常所長が、敦煌研究に突き進んでいった理由について尋ねた。
興味深い答えが返ってきた。
──一九二七年(昭和二年)、二十三歳の時、西洋画を学ぶためにフランスへ留学した。
そのパリで、敦煌に関する写真集と出合う。すばらしい芸術性に驚嘆した。
しかし、それまで、祖国・中国にある敦煌のことを、全く知らなかったのである。
これではいけないと思い、三六年(同十一年)、敦煌芸術の保護、研究、世界への紹介のために、すべてを捨てて中国に帰ってきたのだ。
四三年(同十八年)、研究所設立の先遣隊として、念願の敦煌入りを果たす。
以来、三十七年間にわたって敦煌で生活を続け、遺跡の保存、修復等に尽力してきた。
敦煌の大芸術は千年がかりでつくられたものです。
ところが、その至宝が海外の探検隊によって、国外へ持ち去られていたんです」
こう語る常書鴻の顔には、無念さがあふれていた。
その悔しさを情熱と執念に変え、保護、研究にいそしんできたにちがいない。
不撓不屈の執念こそが、大業成就の力となる。