小説「新・人間革命」 雄飛 六 2017年6月21日

一九九〇年(平成二年)十一月、静岡県にあった富士美術館で、常書鴻の絵画展が開催された。
そのなかに、ひときわ目を引く作品があった。
特別出品されていた「チョモランマ峰(科学技術の最高峰の同志に捧ぐ)」と題する、縦三メートル余、横五メート
ル余の大絵画である。
チョモランマとは、世界最高峰のエベレストをさす土地の言葉で、「大地の母なる女神」の意味であるという。
──天をつくように、巍々堂々たる白雪の山がそびえる。
その神々しいまでの頂をめざす人たちの姿もある。
絵は、常書鴻が夫人の李承仙と共に描いた不朽の名作である。
文化大革命の直後、満足に絵の具もない最も困難な時期に、「今は苦しいけれども、二人で文化の世界の最高峰をめざそう」と誓い、制作したものだ。
山本伸一は、絵画展のために来日した夫妻と語り合った。
常書鴻との会談は、これが六回目であった。
彼は、この労苦の結晶ともいうべき超大作を、伸一に贈りたいと語った。
あまりにも貴重な魂の絵である。伸一は、「お気持ちだけで……」と辞退した。
しかし、常書鴻は「この絵にふさわしい方は、山本先生をおいてほかに断じていないと、私は信じます」と言明し、言葉をついだ。
「私たちは、文革の渦中で、口には言い表せないほどの仕打ちを受けました。
人生は暗闇に閉ざされ、ひとすじの光も差していませんでした。
しかし、この絵を描くことで、権力にも縛られることのない希望の翼が、大空に広がっていきました。
絵が完成すると、新たな希望が蘇っていました。
山本先生はこれまで、多くの人びとに『希望』を与えてこられた方です。
ですから、この絵は、先生にお贈りすることが、最もふさわしいと思うのです」
過分な言葉であるが、この夫妻の真心に応えるべきではないかと伸一は思った。
人類に希望の光を注がんとする全同志を代表して、謹んで受けることになったのである。