小説「新・人間革命」 暁鐘 四十四  2017年10月23日

広宣流布は、常に新しき出発である。希望みなぎる挑戦の旅路である。
10日午後3時半過ぎ、山本伸一の一行は、50人ほどの地元メンバーに送られ、マルセイユを発ち、鉄路、パリへと向かった。約7時間ほどの旅である。
伸一の間断なき奮闘の舞台は、花の都パリへと移った。
パリ滞在中、11日には、歴史学者の故アーノルド・トインビーとの対談集『生への選択』(邦題『21世紀への選択』)のフランス語版の出版記念レセプションに出席した。
翌12日には、美術史家でアカデミー・フランセーズ会員のルネ・ユイグと会談し、前年9月にフランス語で発刊された2人の対談集『闇は暁を求めて』や、ビクトル・ユゴーなどをめぐって意見交換した。
そして15日には、フランス議会上院にアラン・ポエール議長を訪ね、議長公邸で初の会談を行った。
会談に先立ち、議長の厚意で議場を見学した。
ここは由緒あるリュクサンブール宮殿であり、上院議員としても活躍したビクトル・ユゴーの部屋もあった。
そこで、ひときわ目を引いたのが、壁に飾られたユゴーレリーフであった。ヒゲをたくわえ、剛毅さにあふれた彼の顔が浮き彫りされていた。
荘厳な本会議場には、ユゴーが座っていた議席があった。
そこには記念板が取り付けられ、机の上には彼の横顔を彫った金の銘板(めいばん)がはめ込まれ、不滅の業績を讃えていた。
伸一は、その席に案内してもらった。
貧困の追放を、教育の改革を、死刑の反対を訴えた彼の熱弁が響いてくるかのようだった。
類いまれな文学の才に恵まれ、23歳でフランス最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章を受章した彼が、政界に入ったのは1845年、43歳の時である。
人びとの困窮など、現実を看過することはできなかった。彼は、「文の人」であるとともに、「行動の人」であった。それは、まぎれもなく「人間」であるということであった。