小説「新・人間革命」 勝ち鬨 二十九 2018年1月12日

山本伸一は、御書を拝していった。
「『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取って善心を破るといふ事なり』(御書七ページ)
悪知識というのは、誤った教えを説き、人びとを迷わせ、仏道修行を妨げる悪僧らのことをいいます。
彼らは、広宣流布に生きようとしている人を、甘言をもって騙し、また、媚びて、言葉巧みに『善』を『悪』と言いくるめ、その人の心を奪って、信心を破っていくと仰せになっているんです。
皆さんも、悪僧によって、さんざん苦しめられてきた。
彼らは、学会を謗法であるなどと中傷する一方で、狙いをつけた人間に対しては、褒めそやし、媚びへつらい、巧妙に騙して退転させていく。それが悪知識の手口なんです。
この悪知識の本質は、慢心であり、エゴです。そこに付き従ってしまえば、当然、
信心の正道を踏み外してしまうことになる。
広宣流布に生きるうえで大切なことは、清純な信心を破壊する、この悪知識を鋭く見破っていくことです。
皆さんの周りにも、共に信心に励んできたのに、悪僧にたぶらかされ、学会を去っていった人がいるでしょう。
皆さんは、学会という仏意仏勅の団体から離れさせまいと、何度も説得に通われたことと思う。
ところが、せっかく学会員として頑張ると決意しても、またたぶらかされ、翻意し、学会を誹謗して去っていった。
皆さんが断腸の思いを重ねてこられたことを、私はよく知っております」
その時の悔しさを思い起こしてか、目を潤ませる人もいた。
伸一は、さらに訴えた。
「仏法では、『変毒為薬』、毒を変じて薬と為すと説いています。
災いも幸いに転じていけるのが信心です。風があってこそ、凧が空高く舞い上がるように、苦難、試練を受けることによって、境涯を大きく開き、幸福の大空に乱舞していくことができるんです」
この転換劇に、仏法のダイナミズムがある。