小説「新・人間革命」 勝ち鬨 三十一 2018年1月15日

山本伸一は、懇談会のあとも、数人の県幹部らとさまざまな協議を重ね、二つの文書を代表に贈った。
一つは、会長辞任を発表した一九七九年(昭和五十四年)四月二十四日の夜に、記者会見の会場となった聖教新聞社で、終了後、その模様などを記した一文であった。
もう一つは、宗門事件が勃発した七七年(同五十二年)の十二月四日夜、訪問先の宮崎の宿舎で、自身の心境を綴ったものである。
そこには、こう書かれていた。
宗門問題起こる。
心針に刺されたる如く辛く痛し」
広宣流布のために、僧俗一致して前進せむとする私達の訴えを、何故、踏みにじり、理不盡の攻撃をなすのか」
「大折伏に血みどろになりて、三類の強敵と戦い、疲れたる佛子に、何故、かかる迫害を、くりかえし……」
「私には到底理解しがたき事なり。尊くして 愛する 佛子の悲しみと怒りと、侘しさと辛き思いを知り、断腸の日々なりき。此の火蓋、大分より起れり……」
 この二つの文書を渡し、伸一は言った。
「これが私の心だ。同志こそ、私の命だ。会員を守り抜くことがリーダーの使命です。
もしも、また、こうした事態が起こったならば、これを持って、仏子のために、広布のために、君たちが真っ先に立ち上がるんだ。
最も苦しみ抜いた大分には、破邪顕正の先駆けとなる使命がある!」
大分の同志の顔が、決意に燃え輝いた。
翌日、伸一は、会員が営む喫茶店を訪れ、婦人部の代表らと懇談した。
彼は、若手の婦人部幹部に、先輩との関わり方についてアドバイスした。
「一家のなかでも嫁と姑の問題がある。婦人部のなかで、先輩幹部と若手幹部の意見が食い違うのは当然です。
それを乗り越えて、団結し、心を合わせていくなかに、互いの人間革命も、広宣流布の伸展もあるんです」