小説「新・人間革命」 勝ち鬨 五十三 2018年2月10日


山本伸一が熊本支局で待っていると、ほどなく明十四日付の「聖教新聞」の早版が届いた。
彼は、すぐにページを開いた。
二・三面に見開きで掲載された、竹田の同志との記念写真が目に飛び込んできた。
これほどの大きな写真の扱いは異例である。
一人ひとりの顔までよくわかる。誇らかに胸を張り、凱歌が轟くような写真であった。
そして、「雄々しき大分竹田の同志に、長寿と多幸あれ」「岡城趾で『荒城の月』を大合唱」「『涙』と『悔しさ』に耐え抜いた三百人と」との見出しが躍っていた。
彼は、居合わせた記者たちに言った。
「すばらしいね。迫力がある。これで、みんな大喜びするよ! ありがとう!」
翌日、大分県では、早朝から同志の喜びが爆発した。その記念写真は、烈風を乗り越えて、創価の師弟が二十一世紀への広宣流布の長征を誓う一幅の名画であった。
写真に写った同志の多くは、この新聞を額に入れて飾ったり、家宝として大切に保管した。
その後の人生のなかで、苦しいことや悲しいことに出遭うと、新聞に載った写真を見ては自らを元気づけ、勇気を奮い起こして頑張り抜いたという人も少なくない。
この十四日、伸一は、福岡県にも足を延ばし、久留米会館を訪れた。会館に集っていた同志と厳粛に勤行し、激励したあと、八女会館を初訪問した。
八女は、初代会長・牧口常三郎も、第二代会長・戸田城聖も弘教に奔走した、広布開拓の歴史を刻む地である。
さらに、八女支部の初代支部長を務めた功労者宅を訪ね、家族と語らいのひとときをもった。
引き続き、筑後市内の中心会場となっている個人会館で、筑後の代表や福岡県の幹部らと勤行し、懇談会を開いた。
伸一は、広宣流布の途上には予期せぬ困難が待ち受けており、その時こそ、リーダーの存在が、振る舞いが重要になることを確認しておきたかった。
御聖訓には、「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」(御書一二一九ページ)と仰せである。