小説「新・人間革命」 勝ち鬨 六十  2018年2月19日

山本伸一は、全国を回り、正信会僧の攪乱に苦しめられてきた同志を励まし、共に二十一世紀への出発を期そうと心に決めていた。
小田原と御殿場は、神奈川県と静岡県に分かれているが、江戸時代には、共に小田原藩領であった。
また、両地域の同志は、「日本一の富士山」を誇りとしてきた。
一九七五年(昭和五十年)八月、小田原の友が「箱根すすきの集い」を開催した折には、御殿場の代表を招待した。
そして、九月に行われた「御殿場家族友好の集い」には、小田原の代表が招かれている。
宗門事件の烈風が吹き荒れてからも、互いに励まし合いながら、広布の険路を突き進んできたのであった。
「信心を教えてくれたのは学会だ!」
「『魔競はずは正法と知るべからず』(御書一〇八七ページ)だ。負けてたまるか!」
同志は皆、師弟の道を堂々と踏破して、神奈川研修道場に集って来たのである。
空は晴れ渡り、青く輝いていた。箱根の外輪山の向こうに、くっきりと、白雪の富士が浮かぶ。皆で、スクラムを組み、「ふじの山」の歌を合唱した。
   
 ?あたまを雲の上に出し
  四方の山を見おろして……
   
巍々堂々たる富士の如く──それは、小田原と御殿場の同志の、心意気であった。
この日、伸一は、和歌を贈った。
 
「白雪の 鎧まばゆき 富士の山
    仰ぎてわれらも かくぞありけり」
 「限りなく また限りなく 広宣に
    天下の嶮も いざや恐るな」
    
伸一は、年の瀬も、東京の板橋、江東、世田谷、江戸川の各区を訪問し、さらに神奈川文化会館を訪れている。
御聖訓に「火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず」(同一一一八ページ)と。全精魂を注いでの間断なき闘争によってこそ、広布の道は切り開かれるのだ。