小説「新・人間革命」  勝ち鬨 六十三 2018年2月22日

元日、山本伸一は、神奈川文化会館で午前と午後にわたって新年勤行会に出席したあと、静岡県へ向かった。
翌二日は、宗門の総本山での諸行事に参加した。
三日には、静岡研修道場で静岡県の代表幹部を激励し、四日、五日は、自ら教育部の新春研修会を担当するなど、飛行機が勢いよく離陸していくように、フル回転で新年のスタートを切ったのである。
九日、伸一は、学会本部の師弟会館で行われた首都圏高等部勤行会に、会長の秋月英介と共に出席した。
彼は、戸田城聖が世界広宣流布誓願して願主となった、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の創価学会常住の御本尊に、皆と一緒に深い祈りを捧げた。
唱題しながら、十六年余り前の一九六五年(昭和四十年)十月、この会場で、当時の高等部の部長一人ひとりに、出来上がったばかりの部旗を授与した日のことが、鮮やかに思い起こされた。
 その時に集った高等部員の多くは、今や男女青年部の中核として、広宣流布の檜舞台に躍り出ていた。
同様に、ここにいるメンバーも、二十一世紀を担う学会の柱となっていくことを思うと、彼の心は弾んだ。
"学会には後継の若師子たちが、陸続と育っている。
未来は盤石である"──この確信こそが、伸一の勇気の源泉であった。
彼は、男女青年部を、学生部を、高等部、中等部、少年・少女部のメンバーを、さらに全力で励まし、育成していこうと決心していた。
勤行のあと、伸一は、全参加者と共に、記念のカメラに納まり、若き俊英の前途を心から祝福した。
さらに、少年・少女部の代表とも記念撮影した。
それから、目黒平和会館(後の目黒国際文化会館)へ向かい、東京の目黒・品川区の代表との懇談会に臨んだ。
目黒には正信会僧の活動拠点となってきた寺があり、同志は悪僧との攻防戦を続けてきたのである。
"苦闘する同志を応援しよう!"──伸一は、年頭から激戦の地へと走った。