小説「新・人間革命」 勝ち鬨 六十五 2018年2月24日

上空から見た秋田は、美しき白銀の世界であった。
一九八二年(昭和五十七年)一月十日午後二時過ぎ、山本伸一たちを乗せた飛行機は、東京から約一時間のフライトで、秋田空港に到着した。
「こんな真冬に行かなくても」という、周囲の声を退けての、約十年ぶりの秋田指導である。
彼が秋田行きを決行したのは、「西の大分」「東の秋田」と言われるほど、同志が正信会僧から激しい迫害を受けてきたからであった。
それだけに、新年を迎え、松の内が過ぎると、一刻も早くとの思いで、雪の秋田へ飛んだのである。
彼は、出迎えてくれた県幹部とあいさつを交わし、空港ビルを出た。
吹き渡る風は、頬を刺すように冷たい。
車寄せに、七、八十人ほどのメンバーが待機していた。
できることなら、皆のもとへ駆け寄り、一人ひとりと握手を交わし、敢闘を讃えたかった。
しかし、ほかの利用者の迷惑になってはならないと思い、声をかけるにとどまった。
「また、お目にかかりましょう!」
伸一は、車に乗り込み、前年の末、秋田市山王沼田町に完成した秋田文化会館(後の秋田中央文化会館)へ向かった。
車窓から見ると、雪化粧した大地が、雲間から差す陽光に映え、きらきらと輝いていた。前日は未明から朝にかけて、どか雪であったという。
しばらく走ると、ガソリンスタンドの前に四十人ほどの人影が見えた。
同乗していた、東北を担当してきた副会長の青田進が言った。
「学会員です。皆、頑張ってくれました」
伸一は、黙って頷くと、車を止めるように頼み、求道の友の方へ歩き始めた。
革靴に、雪が解けた路面の水が染みていった。
だが、同志が寒風のなかで待っていてくれたことを思うと、居ても立ってもいられなかった。
「寒いところ、ご苦労様!」
皆が歓声をあげた。真剣な、そして、遂に、この日が来た!という晴れやかな表情であった。
苦労の薪が多ければ多いほど、歓喜の炎は赤々と燃え上がる。