小説「新・人間革命」  勝ち鬨 七十 2018年3月2日

山本伸一は、東北代表者会議を終えて、秋田文化会館に戻ったあとも、役員と勤行し、青年部と記念の写真を撮った。
彼が、この一日で激励したメンバーは、約千人に及んだ。
さらに伸一は、多くの同志が、家で諸行事の大成功を祈って、唱題してくれていることを聞くと、感謝の題目を送った。
そして、後年、そのメンバーで「雪の秋田指導 栄光グループ」が結成されるのである。
翌十一日は、朝から青空が広がった。太陽の光がまぶしいほどであった。
正午前、彼は、東北方面や秋田県の幹部らと学会本部のバスで、秋田会館に向かった。
この会館は、前年末に秋田文化会館が完成するまで、県の中心会館として使われてきた法城である。
ここで、元日から一カ月間、伸一の世界平和推進への歩みを紹介する平和行動展が開催されていたのである。
伸一は、年末年始も返上して準備と運営にあたってきた青年部員と会い、感謝の気持ちを伝えようと、足を運んだのである。
「ご苦労様! よく頑張ってくれたね」
運営役員や案内担当のメンバーに声をかけ、観賞のひとときを過ごした。
そのあと伸一は、代表と昼食を共にしながら懇談し、さらに功労者宅を訪問した。
かつて"日本海の雄"といわれた秋田支部の初代支部長を務めた故・佐藤幸治の家である。
佐藤は、一九五三年(昭和二十八年)に三十九歳で入会した。
東京に出ていた末の弟が信心を始め、この弟の弘教によって、前年には、長男の幸治を除いて、四人の弟・妹が次々と入会した。
幸治は学会を見ていて思った。
"学会は、これだけ多くの青年を魅了している。
その学会の会長に、ぜひとも、直接、会って話を聞きたいものだ"
そして、第二代会長の戸田城聖を訪ねた。語らいのあと、戸田は彼を見すえて言った。
「秋田を頼みます!」
その気迫と人柄に打たれて、彼は、思わず「はい。秋田で頑張ります」と答えていた。
生命と生命の共感が、人間を動かす。