池田先生と広島 (2019.2.11)

歓喜の題目」を轟かせよ
5層の天守がそびえる広島城(池田先生撮影)。1991年3月、先生は中国総会に出席するため、広島へ。総会で友に呼び掛けた。
「人生は、ともかく『勝つ』ことである。
『勝つ』ということは、人生を『愉快』にする。『幸福』にする。『満足』をもたらす。
自身の課題に挑み、一歩一歩、勝利する。これほど充実した、愉快なことはない」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。
 
平和運動の命運
1975年(昭和50年)11月8日、広島を訪問した池田先生は、平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に祈りをささげた。
この折の真情を、後にこうつづっている。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
前年(74年)から、先生は中国に3回、ソ連に2回、足を運び、対立関係にあった両国の和解へ、民間外交を展開。
75年1月には、青年部による1000万の核廃絶署名を国連事務総長に手渡している。
同月にはSGIが発足した。
先生が小説『新・人間革命』の筆を執ったのは、93年(平成5年)8月6日。
「広島原爆の日」を選んでのことだった。冒頭の一節には、烈々たる決意が凝結している。
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
この「根本の第一歩」を、先生は広島の友と踏み出し、平和の尊さを訴え続けた。
私が恩師の後を継ぎ、世界にその思想を宣揚できたのも、行動があったからこそです。
仏法運動の、世界への現実の広がりがあって初めて説得力をもち、世界の知性の注目を集めたのです。
広島は、創価学会の平和と文化の運動にとって急所の、中心的役割を担う地であります。
広島こそ、SGIの平和運動の命運を担っております。それだけに、日常活動の繰り返しが大事なのです。
どうか「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)を胸に、私とともに、生涯、誉れの法戦に、動いて動いて動き抜いてください。
 
唱題も高らかに
「人体には大切な“心臓”がある。組織にも“心臓部”というべき、発展への急所がある」
――先生は広島の呉こそ中国方面の心臓部であると述べ、全幅の信頼を寄せている。
第1次宗門事件の渦中で、反転攻勢の対話に打って出た呉の同志は、80年(昭和55年)から5年連続で中国一の弘教を成し遂げた。
その破竹の快進撃が、中国全体を奮い立たせたのだ。
躍進の息吹みなぎる呉広布30周年記念の幹部会(84年10月26日)。先生は「呉が動けば、広島が動く。
広島が動けば、中国が動く」と、偉大な広布の歩みをたたえた。
入信間もなくのこと、御書を拝し、胸に刻まれたのは、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(同970ページ)との御金言であった。
信心は一生成仏のための信心である。全ては、この一生をどう過ごしたかで決まる。
どのように最極の幸せの人生を生きるかが最大の課題である。それぞれの専門の道に人生の価値を見いだす人も多い。
また財宝や名誉、地位を得ることを人生の価値とする人もいる。
しかし、それらは永遠ではない。いつしか崩れゆくし、むなしさを感じる時が必ずあるものだ。
永遠にして不滅、最極にして最高善の御本尊を信受し、日夜、唱題に励みながら広宣流布へと生きゆくことこそ、最極の人生の道なのである。
その人こそ悔いなく我が人生を生きている人なのである。
あらゆる人生の風雪、障魔の嵐にも負けず、妙法の勇者として悠然と胸を張り、唱題も高らかに広布に進みゆくことが最極善の人生である。
呉の友が社会の厳しさの中で“信心で喜びと希望をもって進んでいる”とうかがい、本当にうれしく思った。
この確信と深い境涯の人生こそ、栄えゆく人生であるとともに、信心の偉大なる勝利者の姿なのである。
どうか、この呉の地に、いかなる嵐にも崩されない難攻不落の人材の陣列を築き上げていただきたい。
 
見事なる実証を
広島第2の都市・福山は「備後都市圏」の中心である。
池田先生の福山訪問は6度を数える。そのたびに、中国方面のみならず、全国へ拡大の波動を送りゆく電源地・福山の使命を訴えてきた。
備後広布30周年を記念する集い(83年12月11日)では、日蓮仏法への絶対の確信こそが広宣流布の根本であると述べ、勝利の人生をと望んだ。 
どの地にあっても、広布への炎を燃やし、他の地域に波動を与えゆく電源地となる国土世間がある。
広布の電源地・福山として、全日本、全世界に“福山の信心をみよ”“福山の広布の姿をみよ”といわれるような団結の前進を!
八万法蔵は法華経に納まり、さらにその法華経は三大秘法の南無妙法蓮華経に納まっていく。
全人類の宿命を転換し、幸せと平和の道を開き、時代と世界を蘇生させゆく根源の大法こそ日蓮大聖人の大仏法である。
我らの広宣流布の日々の運動は、まさに、永遠なる文化創造の土台をつくっている。
福山は、日本一、世界一の大福運の国土世間として、信心、功徳の模範の地としての見事なる実証を輝かせていただきたい。
 
悔いを残すな
広島広布30周年記念の勤行会(86年6月23日)で、先生は広島城の雄姿に触れた後、御聖訓「城の主剛ければ守る者も強し城の主おずれば守る者忙る、心は是れ身の主なり」(同979ページ)を拝した。
私どもは常に、最後の最後まで、価値ある何事かを成していこう、という真摯なる歩みを止めてはならない。
強盛なる信心の「心」、確信の「一念」、広布に生きゆかんとする「一心」、その「心」の強い人をこそ諸天は強く守っていくのである。
三世永遠の立場から見た場合には、一時の難や苦しみなどというものは、一瞬のことにすぎない。
ゆえに、目先のことで、信心を退することほど愚かなことはない。
信心と人生に断じて「悔い」があってはならない。
昨年10月、広島池田平和記念会館で開催された本部幹部会・中国総会。
池田先生はメッセージを贈り、「『人間革命』即『世界平和』へ新たな船出を」と呼び掛けた。
誓願」の題目の師子吼を唱えるならば、どんな困難も、自ら願った試練として受けて立ち、必ず乗り越えられる。
いな断固と勝ち越え、「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
わが学会は、たゆみない広布の大回転の渦から、地涌の人材群を、きら星の如く輝かせゆく大銀河であります。 
明るくにぎやかに「歓喜の中の大歓喜」の題目を轟かせながら、青年部、未来部の凜々しき「正義の走者」たちを、さらに陸続と誕生させよう!
そして、大いなる「人間革命」の平和と勝利の光で、地球を赫々と包みゆこうではないか!