2007年1月度研修教材① 上野殿御返事

  さるにては殿は法華経の行者ににさせ給へりと・うけ給はれば・もつてのほかに・人のしたしきも・うときも日蓮房を信じては・よもまどいなん・上の御気色もあしかりなんと・かたうどなるやうにて御けうくむ候なれば・賢人までも人のたばかりは・おそろしき事なれば・一定法華経すて給いなん、なかなか色みへでありせば・よかりなん、大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつれば・それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり。
日蓮が弟子にせう房と申し・のと房といゐ・なごえの尼なんど申せし物どもは・よくふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばらなりしかば・事のをこりし時・たよりをえて・おほくの人を・おとせしなり、殿もせめをとされさせ給うならば・するがにせうせう信ずるやうなる者も・又信ぜんと・おもふらん人人も皆法華経をすつべし、さればこの甲斐の国にも少少信ぜんと申す人人候へども・おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候、なかなかしき人の信ずるやうにて・なめりて候へば人の信心をも・やぶりて候なり。
ただをかせ給へ・梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候
解説
 南条時光は、日蓮大聖人に、自身の信心をやめさせようとして、さまざまな意見をする者がいることを御報告したようです。これに対し、魔の本質を鋭く見抜き、難に負けない信心を貫くよう勧められたのが本抄です。
 ここでは、信心を失わせようとする人間を「大魔のつきたる者ども」と喝破され、彼らの「たばかり(謀り欺く言動)は、賢人さえも恐れ、用心すべきものであると警告されています。その言動とはー。
① 味方のふりをして近づき、そそのかす。「あなたのためを思って申し上げるのだ」等と。
 ②「法」への悪口ではなく、「人」への悪口を言う。「あんなに世間から非難されている日蓮を信じていては、さぞや大変でしょう。主君も快く思われないでしょう」等々と。すなわち、経文や道理に照らしてではなく、権威や人間関係にからめ、感情に働きかけてくる。
③一人の信心を奪うと、それをきっかけにして、大勢の人を退転させる。
魔の狙いは、最も大切な師弟の絆を分断し、その和合を破壊することです。これに従えば、平和と幸福への道は暗い闇に閉ざされてしまいます。
 「国を滅ぼし、人を悪道に堕とすものは、悪知識に過ぎるものはない」(8ページ 通解)と仰せの通りです。ゆえに悪を悪と見抜く透徹した信心が大切です。どんな悪の兆候もゆるがせにせず、正義の祈りと言論で攻め抜くことが、人類の希望である広宣流布の命脈を守ることになるのです。
 退転した反逆者に共通する本性を挙げられています。その共通点とはー
① 欲が深いー物欲や権勢欲にとらわれ、不惜身命で広宣流布に尽くすことができない。
② 心は臆病―小さな自分を守るこちょに汲々とし、大事な目的に対して行動できない。
③ 愚痴―邪な考えに執着し、その愚かさに気付かない。
④ 智者と名乗るー自分を偉く見せたい虚栄心にとらわれ、正しい師を尊敬できない。
大聖人は、こうした退転・反逆の「幹部」の言動から、多くの人々が惑わされ、信心を破られることを強調されました。そんな者たちに、信心の和合の世界を絶対に乱されてはなりません。広宣流布の未来のために、私たちの責任として、邪悪の根も芽も、断じて残してはならないのです。広布破壊の魔の働きを鋭く見破れ!-と池田名誉会長は指導しました。「広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働くーそういう人間が、のさばりだすものである」と。
 広宣流布への絶対の確信を述べられています。「ただをかせ給え」とは、魔の蠢動に対し、見て見ぬふりでよいとの意見ではありません。魔の勢力の働きに一喜一憂したり、振り回されたりすることなく、どこまでも広宣流布のために、誠実を尽くし、悠然たる境涯で勝ち越えてゆけ!-との御指導と拝されます。私たちは、広宣流布の万年への遠征の「先駆者」です。諸天善神を味方にしゆく強盛な祈りで、わが地域に広布の常勝の地盤を築き広げていきましょう!