2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧
峯子は、望来の大ブロック担当員宅で懇談したあと、皆と記念のカメラに納まり、笑顔で握手を交わした。 それから、十二日に行われる、望来大ブロック婦人部総会の会場となる家へと向かった。 車中、同行してくれた地元の婦人部幹部から、「会場のご主人は未…
望来大ブロックに集っていた婦人の一人を、副大ブロック担当員が峯子に紹介した。 「こちらの方は、ご主人を亡くされ、五人の子どもさんがいらっしゃるんです」 「大変ですね。ご自宅は遠いのですか」 峯子が尋ねると、婦人は答えた。 「山を迂回しなければ…
厚田支部の各大ブロックから、婦人部総会の招待状をもらった山本伸一は、できることなら、すべての総会に出席したかった。 しかし、開催日は、六月の十二日、十七日、二十日であり、既に、行事が組まれていた。 十日夜、伸一は、峯子に、自分の思いを語った…
山本伸一が、青年時代に、恩師・戸田城聖との語らいのなかで、世界広布への雄飛を心に定めた師弟誓願の天地・厚田──。 今、その厚田に集った若き勇将たちは、三十年後をめざして、新たな旅立ちを開始したのである。 この六月十一日、伸一は、青年部総会の前…
山本伸一は、戸田城聖から託された構想を一つ一つ着実に実現してきた。 「会員三百万世帯」の達成も、幼稚園、小学校から大学、大学院にいたる創価教育の城も、世界広宣流布の基盤づくりも、成就してきた。 彼は、その誇らかな真情を語っていった。 「地位も…
札幌での幹部会をもって、十六日間にわたる山本伸一の北海道指導の幕が開いた。 彼は、この訪問では、これまでに足を運んだことのない地域も訪れ、陰で学会を支えてきた功労の同志を、草の根を分けるようにして探し、讃え励まそうと、心に決めていた。 妻の…
五月三十一日に東北・栃木指導を終えた山本伸一は、東京などでの諸行事に相次ぎ出席し、六月八日には、北の大地に立っていた。 北海道指導の開始である。 午後四時過ぎに千歳空港に到着した彼は、妻の峯子と共に、直ちに空港近くのレストランへ向かった。そ…
山本伸一の根本スエへの激励は続いた。 「信心して亡くなった方は、すぐに、この世に人間として生まれて、広宣流布の使命に生きると、日蓮大聖人は教 えられているんです。 既に、ご主人は、身近なところに誕生しているかもしれませんよ」 彼女は、微笑みを…
山本伸一は、郡山会館の窓辺に立った。 「よくできた庭園ですね。ご主人の真心が胸に染み渡ります。ご主人と、この庭を見ながら、ゆっくりと語り合いたかった……。 ところで、この庭に名前はありますか」 根本スエが答えた。 「ございません」 「それならば、…
根本孝俊は、前年の一九七七年(昭和五十二年)三月十七日に永眠していた。 山本伸一は、その直前の三月十一日から十四日まで、福島・東北指導のために郡山の福島文化会館に滞在した。 彼が出発して三日後に、根本は心不全で息を引き取ったのである。 伸一は…
山本伸一は、福島県の代表幹部との懇親会で、県長の榛葉則男らに、指導者論などを語り続けた。 「若いリーダーは、ともすれば、合理的な思考法のみで、物事を進めていこうとしがちである。 合理主義も大切ですが、いかに理にかなった理屈であったとしても、…
走る。力の限り走る。 愛する友のために、命の限り、ひた走る。 五月二十九日午後、山本伸一の活動の舞台は、宮城県から福島県へと移った。 福島訪問は、前年の三月以来、一年二カ月ぶりである。 福島では、県幹部会などの大きな会合はもたず、中核となる幹…
戸田城聖は、山本伸一の目を見すえ、熱のこもった口調で語った。 「戦後の青年は、次第に、忍耐力が乏しくなりつつある。その傾向は、これから、ますます強くなるだろう。 どんな世界にあっても、大成のためには、修行という『忍耐』の歳月が不可欠だ。 その…