2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧
★名字の言 ▼「いまはただー手に手を組んで/強く足を踏み出そう 前に向かって!」(真木三三子訳)。ブルガリアの詩人・ポテフが詠んだ詩の一節だ ▼当時、同国は異国の支配に苦しめられていた。そのなかで、ポテフは新聞などに論説や批評、詩を次ぎ次に発表。…
★名字の言 ▼使用済み携帯電話等から貴金属を取り出し、再利用する取り組みが、“都市鉱山”として注目を集めている。全国から回収品が寄せられる秋田県小坂町は明治時代、金、銀、銅の総生産額で、日本一を記録した鉱山の町だ ▼だが、煙害で樹木が枯れ、環境汚…
★名字の言 ▼本社の見学コーナーに、活版印刷時代の最後を飾った、新聞1ページ大の「組版」が展示されている。創価学会の「重宝」。従来の鉛活字を使用したもので、小さな活字が、ぎlちしりと詰まっている。きょうから本紙は、文字が大きくなった。1段に1…
★名字の言 ▼「あの人のようになりたい」と思える大人が周囲にいない。中高生の5割がそう考えている。国立青少年教育振興機構の調査で分かった。大人との関わりが少ないから?誇りを抱いて生きている大人が少ないから? ▼内閣府の調査では、最近の世の中の出…
★名字の言 ▼世界一の販売台数を誇る単一機種の乗り物は?ホンダのスーパーカブである。1958年(昭和33年)に販売。危険で粗野な乗り物とされた常識を打ち破った ▼腰掛けるように乗れるスタイル。そば屋さんが片手で運転できる。スカートの女性も気軽に…
山本伸一は、五月十九日の午後には、ロンドンからパリに戻り、その足でパリ郊外にある作家のアンドレ・マルロー宅を訪問した。 マルローは“行動する作家”として知られる。 青年時代に仏領インドシナを訪れた彼は、植民地政策に疑問を感じ、反植民地運動、さ…
翌十九日午前十時、山本伸一と峯子は、川崎鋭治らと共に、ロンドン市内の王立国際問題研究所を訪ねた。トインビー博士が、長年、執務し、国際問題の研究に携わっていた研究所である。 博士を支えてきたルイーズ・オール秘書の柔和な笑顔が、伸一たちを迎えて…
山本伸一がゴードン夫妻と歓送の会食をしてから、一年余りが過ぎていた。今、ゴードンは、イギリスの理事長として、伸一を迎えたのである。 メンバーの信頼も厚かった。 しかし、日本での安定した生活を捨てて、イギリスに戻ったゴードン夫妻の生活は、決し…
★名字の言 ▼本年5月に4期生が卒業したアメリカ創価大学(SUA).これで草創の大学建設を担った最初の4学年が巣立ったことになる ▼全卒業生のうち実に3分の1がハーバード、ケンブリッジなど名門大学の大学院に進学した。100人が卒業した1期生では12…
★名字の言 ▼人生に試練はつきもの。だが、それを嘆いて逃げてしまうか、真正面から向き合うことによって、人生は大きく変わってくる ▼「進行性筋萎縮症」と診断された壮年。朝、目が覚めると“きょうで体が動かなくなるかも”との恐れが胸を占める。不安を吹き…
★名字の言 ▼活字は、かつて宝石のように大切に扱われてい亜tのだろう。英国では、活字の大きさを小さい順に、ダイヤモンド、パール、ルビー、エメラルドと宝石で表現していた ▼一方、日本では標準文字の大きさを「5号」、その半分を「7号」といった(数字…
レイモンド・ゴードンは考え、悩んだ。 “もし、イギリスに帰るとなれば、今のスポーツ用品会社の取締役という職は失うことになる。向こうで今以上の収入がある、安定した仕事に就くことは難しい。 しかし、イギリス社会に仏法を伝え、人びとの幸福と平和のた…
レイモンド・ゴードンは、仕事の関係で、住居を東京に移し、信濃町に家を借りた。 彼は、ここで信心することを決断した。一九七一年(昭和四十六年)七月のことである。 さらに、知人の日本人女性と結婚した。 小説『人間革命』を渡し、彼に仏法を教えてくれ…
戦場でレイモンド・ゴードンが見たものは、退却した日本軍の累々たる屍であった。また、日本軍の攻撃でゴードンも部下を失った。 さらに彼は、マラリアにもかかった。 戦地で高熱にうなされながら、彼は思った。 “われわれは、なんと愚かなことをしているの…
2008年7月7日 聖教新聞 随筆人間世紀の光 164 「大三国志展」を見て 下 山本 伸一 「誠実」に勝る外交なし 日中の 友好永遠 万万歳 「大三国志展」は、一昨年(二〇〇六年)、日中友好の新たな未来を開くため、私が王毅(おうき)・駐日中国大使(…
2008年7月6日 聖教新聞 随筆人間世紀の光 163 「大三国志展」を見て 上 山本 伸一 歴史とロマンの対話を師と共に 美の光 善の光の 創価かな 共に あげなむ 勝利の杯をば 「金(こがね)は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄(くろがね)は水火…
★名字の言 ▼目が不自由な方のお宅を訪問した。いろいろとお話を伺っていたら、突然「将棋せえへんか?」と。話には聞いたことがある。「盲人将棋」だ。将棋は学生時代以来だ。「飛車角落ち」でお願いする ▼こちらは「4七銀」のように、どの駒をどこに置いた…
★名字の言 ▼スポーツ競技がテレビで生放送されることがある。オリンピックの決勝やサッカーの国際試合などは、視聴率も高い。忙しくて見られないときは録画もできるのだが、後から見たときに、物足りなさが残る ▼生放送と同じ高揚感が起きないのだ。競技結果…
続いて、イギリスの法人の理事長に就任した、レイモンド・ゴードンがあいさつした。 長身で情熱にあふれたイギリス人である。SGI(創価学会インタナショナル)が発足したグアムでの世界平和会議で、経過報告を行ったのも彼であった。 ゴードンは感無量の…
五月十八日、山本伸一はロンドンに向かった。 このイギリス訪問の目的の一つは、トインビー博士との対談集の特装本と、創価大学名誉教授の称号の証書を、博士に届けることであった。 トインビー博士と伸一との対談は、一九七二年(昭和四十七年)、七三年(…
長谷部彰太郎の家で山本伸一は、集っていたメンバーと共に勤行した。 そして、庭で一緒にバーベキューを楽しんだ。 伸一と峯子は、率先して肉や野菜を焼き、皆に配っていった。 引き続いて、庭で懇談会が行われた。 メンバーは伸一に、次々と質問をぶつけた…
山本伸一を出迎えた長谷部彰太郎は、恐縮して言った。 「お疲れのところ、わざわざ、こんな遠くまで来ていただいて、本当にありがとうございます。 どうぞ、こちらへ」 長谷部は、伸一と峯子を、まず庭に案内した。 長谷部の家には、たくさんのメンバーが集…
山本伸一は、最後に長谷部彰太郎に約束した。 「もし、あなたがフランスで家を購入したら、私も必ず訪問させてもらいますよ」 「本当ですか! ありがとうございます」 長谷部は、断じて家を買おうと思った。 しかし、画家である彼には定収はなく、預金もほと…
長谷部彰太郎の家は、パリ会館から車で、西に一時間ほどのところにあるという。 長谷部は、前年、来日した折に、フランスに家を買うべきかどうか、山本伸一に相談した。 伸一は微笑みながら言った。 「もう家を買えるぐらい、絵が売れるようになったんだね」…
★名字の言 ▼先月、名古屋で開催された、「宗教と社会」学会主催の学術大会。興味深かったのが、創価学会の青少年の育成法を探る研究発表だった ▼ある地域の未来部を取材したその学者は、部員会や担当者による家庭訪問などの活動内容を報告。「子どもたちが進…
★名字の言 ▼梅雨前線の活発な活動のため、日本列島の各地が大雨に見舞われている。この時期、湿度が高くなっているので、カビや食中毒に対する用心が必要だ。体調の管理にも気をつけたい ▼「梅雨」の語源は、諸説あるが、“梅の実が熟するころに降る雨だから”…
★名字の言 ▼歌には、さまざまな「力」がある。人びとを結びつける力。鼓舞する力。癒す力。そして、人を感動させる力・・・ ▼中部歌「この道の歌」誕生30周年の本年、男女青年部が区・圏単位の90会場で合唱祭を行い、大きな反響を呼んだ。「皆と一緒に歌…
★名字の言 ▼記者の仕事は、単純に言えば、情報を集め、整理して、記事に表現することだ。では、書くべき情報はどこから得られるか。断然、現場の人びとの生きた声である。その次に書物。インターネットも友好な手段になったが、補助的な場合がほとんどである…
2008年6月30日付 聖教新聞 各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-2 庶民こそ英雄 一、いざという時に、果敢に戦うのは、いつも名もなき庶民である。 嵐にも屈せぬ最前線の同志のおかげで、今日の学会は築かれた。 信心の世界は、学歴や肩書で推…
2008年6月30日付 聖教新聞 各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-1 創価の対話は人類の希望! 戸田先生 わが崇高なる学会に一人たりとも魔を寄せ付けるな 一、時間の許す限り、若き皆さんのために語りたい。 さらに、戸田先生の折々の話から学…