2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
後継の誓いの3月、わが胸には「追撃の手をゆるめるな!」との恩師の師子吼(ししく)が響く。 あえて試練に挑み、勝ち越えるのが青年だ。後継の誉れである。 どんな嵐が襲いかかろうとも、題目第一の人には、かなわない。必ず必ず乗り越えられる。 日蓮大聖…
大樹と伸びゆく若き友の姿ほど、心躍るものはない。 先日、東京創価小学校の6年生の皆さんと、私は妻と共に、うれしい出会いを刻んだ。皆、元気だった。 天も祝福していた。 私は毎日、全国、全世界の若き友に、健康あれ!幸福あれ! 勝利あれ! と祈ってい…
3月は「青年が立つ月」「師弟誓願の月」だ。 烈々たる師子吼(ししく)で邪論を打ち破った小樽問答の際、戸田先生は教えてくださった。 「敵が攻めかかってきたが、それで守備に回らないで、逆に攻撃に回って、先手、先手と攻めたから、非常に楽に勝てた。…
仏法は「声仏事を為す」(御書708㌻)と教える。声の力で仏の仕事ができるのだ。 心から出た言葉は心に届く。たった一言でも、生きる力になる。友に温かな声を掛け、励まし社会を創っていきたい。 苦しんできた民衆が断じて幸福になる世界を!──その師の心を…
日蓮大聖人の御生誕の月であり、戸田先生の誕生月でもある2月、かけがえのない一日一日を勇気凛々(りんりん)と前進したい。 真の充実は、自他共の幸福を築く行動にある。ゆえに、学会活動にかなうものはない。 「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜」(御…
いよいよ新時代の2月闘争が始まった。 今年は、戸田先生の生誕115周年。私の胸には、厳しくも温かい恩師の声が響く。 ある時、対話拡大に走る同志を、こう励ましてくださった。 「仏法の話をして、誰も話を聞いてくれなかったとしても、諸天善神が聞いてく…
広布第一線の尊き地区部長、地区婦人部長、敬愛するブロック長、白ゆり長の皆様、いつも本当にありがとう! 広宣流布の勝利への第一歩は「地区」から始まる。 壁を破った2月闘争は「ブロック」が本舞台であった。 日蓮大聖人は「其の国の仏法は貴辺にまかせ…
今、全世界の同志が喜々として広宣流布大誓堂に集い来る。 その求道の友は、一昨年秋の落成以来、104カ国・地域に及ぶ。本当に尊いことである。 「世界広布新時代 躍進の年」の年頭に当たり、私も広宣流布大誓堂で勤行・唱題した。全同志の健康・幸福・勝利…
友のため、社会のため、平和のために走る、尊き尊き皆様方の奮闘があればこそ、希望と喜びに満ちた「世界広布新時代 躍進の年」を迎えることができました。皆様方に最敬礼して、御礼を申し上げる思いで、「新春の 誉れの友に 幸光れ」と贈ります。 創価大学…
佐田太一は、“島の広宣流布のためには、まず生活に勝ち、実証を示すことだ”と結論し、祈りに祈った。 唱題は、生命力、智慧の源泉である。 “漁師のほかにも商売ができないものか”と思案を重ね、住まいの一部を改造して、民宿を始めることにした。 民宿といっ…
佐田太一は、妻と共に信心を始めた。 佐田も、妻も、入会すると、無我夢中で題目を唱えた。苦境を脱しようと必死であった。 学会の指導通りに、折伏・弘教にも駆け回った。 すると、妻が苦しんできた心臓弁膜症による胸部の痛みや呼吸困難の症状が、次第に…
佐田太一は、疑問をいだき続けてきた。 「自分は、青年時代から、人一倍、強い信仰心をもち、いろいろな信心をしてきた。 自分ほど真面目に信仰に励んできた者はいないとさえ自負している。 ところが、災厄が次々と襲い、食うや食わずの生活を送らねばなら…
網元であった佐田太一の父もまた、信心深い人であった。 竜神堂を建てたり、地蔵を造らせたりした。 また、漁師たちにも、何でもいいから信仰をもつように勧めた。 それが、最高の善行であると信じていたのだ。 佐田自身も、その父の影響を強く受けて育った…
北海道の札幌から鉄路二百十五キロ、北海道北部の西海岸にある羽幌に出る。 かつては炭鉱の町として栄えたところである。 さらに、そこから西へ海路約三十キロ、日本海に浮かぶ周囲約十二キロの島が、「オロロンの島」として知られる天売島である。 オロロン…
田山広介は、炭鉱会社の労務担当者たちを前に、「学会は、いかなる宗教なのか」「何をめざしているのか」などについて、諄々と話した。 労務担当者たちの態度も表情も、次第に変わっていくのがわかった。 頷きながら、話を聴いている人もいた。 労務担当の責…
信心は生命を根底から変革 仏法は、人の心も、また社会の精神性も、深く鋭く映し出す英知の鏡である。 日蓮大聖人は、その明鏡に照らして、時代の混迷の元凶は人間の生命に巣くう「貪瞋癡(とんじんち)」の三毒にあり、「戦争は瞋り(怒り)から起こる」(…
学会が、第二組合をつくろうとしていると誤解した会社側は、学会の勢力を削がなくてはならないと考えた。 そして、会員宅を訪問しては圧力をかけ、御本尊を取り上げて回ったのである。 それを知った、この“炭鉱の島”の男子部員たちは立ち上がった。 男子部班…
その〝炭鉱の島〟で一九六二年(昭和三十七年)の六月、炭塵爆発により、六人が死亡、九人が負傷するという事故が起こった。 この会社では、日々、ノルマを達成するまで、労働時間を延長させていたことなどから、作業員の会社への不満がたまっていた。 そう…
九州北西部の島で起こった迫害事件に対して、学会員は法的手段も講じ、懸命に励まし合いながら、解決への努力を重ねた。 島の同志のすばらしさは、精神面でも、生活面でも圧迫が続くなかで、一歩たりとも引かなかったことだ。 皆、信心を始め、折伏・弘教に…
夏季地方指導の最終日に開かれた座談会の帰り道、島の若者たちが鍬や鎌を持って道端に群がり、学会員に罵声を浴びせた。 学会員が次々と誕生していくことを快く思わぬ、地域の有力者の差し金であった。 学会の幹部を家に連れてきたことで、家主から、家を出…
島の人びとの心に兆した誤解や偏見は、日蓮仏法、創価学会を、島の風俗、習慣、伝統とは相いれないものとして、排除しようとする動きとなっていく。 特に、信心を始めた人が、地位も財力もない、弱い立場であればあるほど、周囲の反発、圧力は激しく、弾圧、…
山本伸一は、懇談の席で、離島の婦人たちの近況に、じっくり耳を傾けた。 多くの島の暮らしは、決して豊かとはいえない。 島を出て、大都市に働きに出る人も後を絶たない。 そのなかで、学会員は、人びとの幸せと島の繁栄を願い、ひたすら信心に励んできたの…
山本伸一は、離島本部の総会に出席する前に、離島の婦人部の代表らと懇談した。 日本には、北海道、本州、四国、九州のほか、沖縄本島をはじめ、七千近い島が存在し、そのうち約四百の島が有人島であるといわれている。 この語らいのなかで、彼は、離島に対…
山本伸一は、沖縄のメンバー一人ひとりに視線を注ぎながら、話を続けた。 「私は、沖縄の皆さんが、自ら行動を起こし、学会本部に来られたということが、最高に嬉しいんです。 誰かが、何かしてくれるのを待つという受け身の姿勢からは、幸福を創造していく…
離島本部総会に参加する沖縄の同志は、那覇に集まり、「沖縄支部長会」の参加者と合流し、朝、飛行機で東京へ向かった。 メンバーのなかには、船で石垣島や宮古島に出て、そこから飛行機で那覇まで来て、一泊した人もいた。 沖縄の同志は、羽田空港から五台…
高見福安の言葉は、語るにつれて熱を帯びていった。 「私は今、自分の姿勢を振り返って、深く反省しています。 求道心を失い、先生に甘えていたことに気づき、申し訳ない思いでいっぱいなんです」 集っていた沖縄の首脳幹部たちは、高見に視線を注ぎながら、…
この十月七日、離島本部の総会に先立ち、第一回「沖縄支部長会」が、学会本部の師弟会館で開催されることになっていた。 沖縄の同志は、会長・山本伸一の訪問を強く願ってきた。 伸一は、一九七四年(昭和四十九年)二月の沖縄指導では、石垣島、宮古島へも…
雲の切れ間に太陽が輝いた。 東京・信濃町の学会本部に、人びとが喜々として集って来た。たくましく日焼けし、精悍さが漂う男性も多い。 ほとんどの人が、学会本部を訪れるのは初めてであった。 門の前で、陽光を浴びた創価文化会館の大理石の壁を見上げ、…
広宣流布を推進するリーダーにとって大事なことは、自分の担当した組織のすべてのメンバーに、必ず幸せになってもらおうという強き一念をもつことだ。 そして、人間対人間として、誠実に交流を図り、深い信頼関係を結んでいくことである。 その素地があって…
「行学」は幸福常勝の翼なり 創価学会名誉会長 池田大作 わが地区は、何と偉大な哲学者の集いであろうか。どんな試練にも、たじろがない信念の哲人がいる。どんな悩める友にも、希望を贈る対話の達人がいる。どんな難局にも、活路を開く勇気の賢人がいる。 …